中西麻耶が自身のインスタで「プロ活動に一区切りつけること」を発表。(写真はイメージ)
パラ陸上女子走り幅跳びT64で世界選手権を制し、北京からパリまで5大会連続でパラリンピックに出場した中西麻耶が自身のインスタで、2026年度シーズン限りで「プロ活動に一区切りつけること」を発表した。
中西が競技を始めたのは2007年。仕事中の事故で右脚を切断した翌年だった。いまではパラリンピックは多くの人に知られ、トップ選手の活躍も広く報じられる。
しかし当時のパラ競技を取り巻く環境は、現在と同じではなかった。競技力を高めるために何を選び、どのように資金を得るのか。選手個人が背負う負担は、あまりに大きかった。
中西は世界で戦う力を求め、米国に拠点を移し、フローレンス・ジョイナーを育てたアル・ジョイナー氏の指導を受けた。だが、障害のある選手が海外を拠点に海外コーチをつけることへの理解は乏しく、批判にもさらされたという。故郷を捨てたかのように受け取る声さえあった。
それでも、世界を目指すために必要だと信じた環境を手放さなかった。資金難で国際大会への出場もままならず、練習や生活を続けること自体が課題となる中、2012年にはセミヌードカレンダーを発売した。単なる話題づくりではない。競技を続け、世界の舞台に立つための活動資金を、自ら捻出するための決断だった。
その挑戦にも批判は集まった。だが中西は、義足を隠すのではなく、自分の身体と競技者としての意思を表現した。カレンダーの販売は資金を生み、ロンドン・パラリンピック出場への道をつないだ。
同時にそれは、パラアスリートが支援を待つだけの存在ではなく、自らの価値を社会に問い、活動を選び取る存在であることを示した出来事でもあった。
もちろん、20年は苦難だけの時間ではない。2019年世界選手権では、最終跳躍で5メートル37を記録して逆転優勝。悲願の世界一に輝いた。パリ大会まで5度のパラリンピックに立ち、最後まで世界と競い合った。
投稿の中で、中西は「私が手にしたいと思っていたものの多くは、もう十分過ぎる程に手にすることができた」と記した。そして、陸上という支えを手放し、「まだみたことのない自分の人生へ飛び込んでみたい」とつづった。
中西麻耶の20年は、記録や順位だけで測れない。競技を続けるための環境さえ自分で切り開き、批判を受けながらも世界へ向かった。その姿は、パラ競技の認知が広がっていく過程と重なる。
10月3日、地元・大分で予定されるレースは、一人のトップアスリートの最後の試合であると同時に、逆風の中から新たな道をつくった挑戦者への節目となる。
プロフィール
中西 麻耶(なかにし・まや)1985年6月3日生まれ、大分県由布市出身。2006年、勤務先での事故により右脚を切断し、翌年から義足で陸上を始めた。女子走り幅跳びT64を主戦場に、北京、ロンドン、リオ、東京、パリとパラリンピック5大会に連続出場。2019年世界パラ陸上選手権で優勝し、2024年神戸大会では銅メダルを獲得した。2026年度シーズン限りでプロ活動に一区切りつける。
記事/まるスポ編集部
