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【野球 杉本忠】甲子園・都市対抗野球準優勝ピッチャー、次世代に繋げたい想い(2)

――そのヨークベニマルでは、どのくらいの期間過ごしたのですか?

杉本:2年半ですね。ヨークベニマルでは都市対抗野球に自チームで出場したことはないんですが、都市対抗野球は「補強選手」という制度があります。

 都市対抗野球大会に出場する各地区代表チームが、その地区の第一次、第二次予選において敗退したチームから3名以内を選出し、チームの一員として大会に出場させることができる制度で、大会1ヶ月前の練習期間からチームに合流できます。ですから2年半の間、都市対抗野球には他のチームで3回出場しました。

――その後、ヨークベニマルは野球部が休部になるんですよね。

杉本:そうです。法政大の同級生で松田という選手が、社会人野球シダックスで活躍していました。そして当時のシダックスの監督が、法政大出身の竹内さんという方でした。

 竹内さんから「もしベニマルが休部になったら、シダックスに来ないか?」と言って頂き、家族と相談しシダックスに移籍しました。

――移籍したシダックスはいかがでしたか?

杉本:強かったです(苦笑)。シダックスは関東でも異色のチームでした。キューバの選手をチームに合流させていました。今でこそ木製バットですが、当時は金属バット。キューバ人が金属バットで球を打った時の飛距離はハンパないです(笑)。

 大人が金属バットを持っているので、投手としては辛かったですね。詰まった打球でもフェンス直撃だったりして(苦笑)。

 東北のヨークベニマルの時はチームの中心人物として評価して頂けましたが、関東圏内のチームのレベルの高さに驚きました。強豪が多い東京のチームに移籍してきて、東北とは違う環境に慣れなくて、オープン戦では投げるものの、メインの試合では投げることが出来ませんでしたね。

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