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デビュー戦はジャパン女子・二上美紀子戦

――デビュー戦は1991年8月4日ジャパン女子プロレスの後楽園大会、対戦相手はWAVE会長のGAMIさんでしたね。

遠藤:試合は全く覚えてないですね。気づいたら終わっていた。でも二上さんのユニフォーム姿は覚えてますよ、白い水着(笑)。

――そのジャパン女子は1992年1月に解散。遠藤選手が活動したのは1年くらいでしょうか?

遠藤:1990年4月に入門して約10ヶ月ですね。その後、レディースレジェンドプロレスリング。通称、LLPWです。社長が風間ルミさん、専務が神取忍さんでした。

女子プロレス界で世界初、女性の代表取締役社長。「3ヶ月でつぶれる」とか陰口を叩かれました。でも逆に燃えたのを覚えています。

――ジャパン女子プロレスは、LLPWとJWP女子プロレスに分裂しました。

遠藤:あの時、私には情報が来なかった。自分の中でプロレスを頑張ったので、ジャパン女子で終わらせたくなかった。

LLPWとJWP女子プロレスは分裂したけど、私は一緒になると思っていました。でもあの時は若くて状況を全く理解できなかったですね。

――LLPWは1992年8月29日に後楽園ホール旗揚げ戦を行いました。1995年に初の女子選手によるバーリトゥード大会「L-1」を開催。当時、格闘技色の強いイメージがありました。

遠藤:試合前、ケージの中に入って外から鍵をかけられた瞬間、これまでの出来事が、走馬灯のように頭の中をぐるぐる駆けめぐりました(苦笑)。色んな意味で刺激的でしたね。

LLPWで社長就任

――遠藤選手は2007年8月に参議院議員になった神取さんの代わりに、代表に就任しました。

遠藤:私は社長の器じゃない。それまで1レスラーとしてプロレスに専念すれば良かったけど、会場のことやお金のことなど、それまで分からなかったことがたくさんあった。

それに社長になることで他のレスラーとの関係性に変化が出てきた。自分を追い込んでしまったんです。

それで「自分は何がしたいのか?」を改めて考えた時、単純に試合がしたかった。それで2009年5月に代表を辞任し、レスラーに専念しました。

――よく「社長は孤独だ」という言葉を聞きますが…

遠藤:孤独でしたね。1つの興行が終わっても、また次の興行がある。「私は何のために、この世界に入ったんだろう」と。

社長業をやったことで色々なことを学びました。様々な経験もしました。ただ私には向いてなかった。

WAVEの社長・桜花由美さんは、いつも笑顔で「おはようございます」と声をかけてくれる。私は社長の時に周囲の人たちに笑顔で声をかけることができなかった。桜花さんと私は覚悟が違うと思います。

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