――お母さんは中学を卒業した娘を女子プロレス界に行かせたくなかったのですね。

遠藤:その後、高校1年、高校2年とオーディションを受けたけど不合格。高校3年、「これで受からなかったら諦めよう」と。

ただ1989年は全日本女子とジャパン女子プロレスのオーディションが、同じ日の同じ時間帯で掛け持ちができない。かなり悩んでジャパンを受けて合格しました。

――ジャパン女子プロレスは、1986年8月17日後楽園ホールで旗揚げ戦を行いました。当初は秋元康さんプロデュースで「プロレス版おニャン子クラブ」がコンセプトでしたね。

遠藤:私が入門した時、秋元さんはいなかったですね。八王子に寮があって、トレーニングで高尾山に歩いて登りました。でも二上さんの時は走ったらしいです(笑)。

――ありえないですね(苦笑)。

遠藤:スパルタです。その後、新日本プロレスの道場に通い、山本小鉄さんに教わりました。小鉄さんは女性だからといって一切手を抜かない。まさに鬼教官でしたね(笑)。

1 2 3 4 5 6

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

Share me!
  • URLをコピーしました!
目次