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中学卒業後、すぐに入寮。記憶のないデビュー戦。巡業中に離脱。

宮崎:その頃WOWOWで全日本女子vs JWP女子の対抗戦があり、そこでJWPが勝利。当時の私は「JWPが1番強い」と思っていました。それで兄が買ってきた雑誌「週刊プロレス」にJWPの入門テストが載っていて応募したのです。

書類審査に受かり、入門テストを受けるため上京。入門テストには母親が一緒についてきてくれました。親に内緒で入門テストを受けにくる人がいるからテストに合格しても親の承諾を取れず練習生になれないケースが多い。

私の場合、母親は必然的に「私がレスラーになる」のを認めていたのですぐに入門が決定。もちろん入門テストのスクワット100回等もクリアしました。

――それが中学3年生の冬休みくらいでしょうか?

宮崎:そうです。それで中学卒業と同時に上京し、JWPでの寮生活が始まりました。当時、一つ上の先輩で、現在PURE-J女子プロレスのレフェリーであるテッシー・スゴーさんが住んでいました。先輩2人と私たち同期7人、計9人での寮生活スタートです。

JWPには1994年3月入寮し1995年1月デビューまでに約10ヶ月かかりましたね。デビュー戦の相手は私の1ヶ月前にデビューした同期の日向あずみ。結果は10分時間切れ引分け。同期の倉垣翼も私と同じ日にデビュー。

私は緊張しすぎて試合内容を全く覚えていません。「どうやって入場したのか」「どんな技を出したのか」等、いっさい記憶にない(苦笑)。

YouTubeに動画が残っていないか探してみたけどなかったです。

――「もし宮崎選手のデビューの映像をお持ちの方がいればSNSで連絡ください」と書いておきます(笑)。

宮崎:お願いします!あの頃はビデオリリースも多かったし、1995年4月に旗揚げした「GAEA JAPAN」の長与千種さんもJWPに参戦していたので映像が残っているはず(笑)。

――そして1996年にJWPを離れましたね。

宮崎:若気の至りです(苦笑)。「辞める」と口にする人は辞めない。辞める気はなかったけど魔がさしたと言いますか…朝、巡業中泊まっていた静岡のホテルから出て行きました。一旦寮に帰って荷物を整理したと思います。

――誰にも相談しなかったのでしょうか?

宮崎:同期に伝えました。そしたら「巡業終わってからにしたら?」と止められました。でも巡業が終わって寮に帰ったら「同じ生活を繰り返すことになる」と考え、静岡で行動にでました。

「もう2度とプロレスには戻らない」と思って…

<(2)に続く>

<インフォメーション>
2.18(土) 川崎・ディアナ道場で宮崎有妃選手と旧姓・広田さくら選手、狐伯選手の三つ巴戦が行われます!詳しくはプロレスリングWAVE・Webサイトをご確認ください。

宮崎有妃Twitter
宮崎有妃Instagram

取材・文/大楽聡詞
写真提供/プロレスリングWAVE

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