「よし(ストライク)」「だめ・引け(アウト)」という独特の表現の歴史(写真はイメージ)
戦時中の「敵性語(敵国の言葉)排除」を発端とする野球用語の日本語化は、私たちが想像する以上に深く、戦後の日本野球の土台に影響を与えている。
この「よし(ストライク)」「だめ・引け(アウト)」という独特の表現の歴史と、なぜそれが戦後もしばらく生き残ったのか、その詳細を紐解く。
始まりは1943年、軍部の圧力による「邦語化」
太平洋戦争が激化した1943年(昭和18年)3月、日本野球連盟や学生野球連盟は、軍部からの強い圧力に抗いきれず、英語の野球用語を全面的に禁止した。これにより誕生したのが、極端なまでに直訳された日本語のコールである。
・ストライク:「よし」または「正球(せいきゅう)」
・ボール:「だめ」または「悪球(あっきゅう)」
・アウト:「引け」または「無効」
・セーフ:「よし」または「安全」
カウントを数える際は、球場に「よし一本!」「だめ一つ!」という審判の絶叫が響き渡った。三振アウトの際は「よし三本!それまで!」と言い換えられた。あまりに急な変更だったため、当時の審判が思わず「ストライク!……もとい、よし一本!」と言い間違え、観客席から笑いが起きることも日常茶飯事であったという。
なぜ戦後も「日本語」が使われ続けたのか
戦後しばらくの間、教育現場や地方の少年野球などで日本語の言い換え表現が使われ続けたのには、「定着度」「経済的困窮」「言葉としての実用性」という明確な3つの理由が存在する。
終戦によってGHQが介入し、英語の排斥風潮は一瞬で消え去ったが、人々の生活や意識がすぐに切り替わったわけではない。
1. 明治期からの「翻訳野球」の高度な定着
戦時中の「ストライク=よし」「アウト=ひけ」といった極端な言い換えは一瞬で廃れた。しかし、「打者」「走者」「四球」「直球」「遊撃手(ショート)」といった言葉は、戦後も、そして現在も使われ続けている。
これらは戦時中の思いつきではなく、明治時代に正岡子規などの知識人が英語の野球規則を深く理解した上で、見事な日本語に翻訳して定着させていた言葉だった。すでに国民的スポーツの言葉として血肉化していたため、戦後もあえて英語に戻す必要がなかった。
2. 教科書や道具の「物資不足」という現実
戦後すぐの地方や学校現場は、極度の物資不足に苦しんでいた。
・教育現場の事情:墨塗り教科書をはじめ、戦後しばらくは新しい教科書を行き渡らせる余裕がなかった。そのため、戦時中に「国策」として日本語表現に改められた指導内容や教育用の語彙を、そのまま使わざるを得ない現実があった。
・地方の少年野球の事情:ルールブックやスコアブック、指導書などの印刷物も戦時中の日本語表記のものが残っており、地方の隅々まで最新の英語表記のルールブックが届くには数年のタイムラグがあった。
3. 日本語のほうが「子供たちに伝わりやすかった」
地方の少年野球を教えていたのは、復員してきた大人たちや地元の先生。彼らは戦時中の日本語による指導や訓話に慣れていた。
まだ英語教育を十分に受けていない地方の子供たちにとっても、降って湧いたような英語(「フライ」「バント」「デッドボール」)より、「飛球」「軽打」「触体球」と言われた方が、直感的に動きを理解しやすかったという教育・指導上の実用的なメリットがあった。
記事/まるスポ編集部
