プロ野球のFA史上、「最も凄惨な誤算」と言われた川崎憲次郎投手
プロ野球のFA史上、「最も凄惨な誤算」と語り継がれるのが、2001年にヤクルトから中日へ移籍した川崎憲次郎だ。
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前年8勝を挙げた右腕に対し、中日の星野仙一監督は“打倒巨人の切り札”として、3年総額6億円という破格の条件と自身の背番号「20」を提示した。川崎も「一緒に巨人を倒しましょう」と応じ、大きな期待を背負って新天地へ乗り込んだ。
しかし、移籍1年目の春に右上腕部を故障すると、そこから3年間にわたり一軍登板機会はゼロに終わる。
チームの低迷や星野監督の退任も重なり、契約最終年の2003年には、ネット上で「川崎祭」と呼ばれる騒動が勃発した。一軍未登板の川崎をオールスターのファン投票1位に押し上げるという、心ない悪戯の標的になったのだ。
転機は2004年、落合博満監督の就任だった。落合監督は、3年間最も苦しんだ川崎をあえて開幕投手に抜擢した。
「チームを生まれ変わらせるためのカンフル剤」という役割を託したのである。
1274日ぶりのマウンドで川崎は打ち込まれ降板したが、その必死な姿にナインの闘志が着火した。中日は逆転勝利を収め、その勢いのままリーグ優勝を果たした。
在籍4年で0勝に終わったが、最後に本来とは違う形で見せた執念が、チームを頂点へと導く原動力となった。
記事/まるスポ編集部
