
令和になり見ることが減った乱闘劇。互いに小競り合いになることも年に数回程度となった。
しかし昭和から平成、特に00年代ごろまではプロ野球珍プレー・好プレーでも1コーナーできるほど多く起こっていた。
その一つとして度々映像で流されるのが、藪恵壹投手(当時阪神)の死球を巡る清原和博選手(当時巨人)との因縁。この一連のエピソードが藪氏本人から語られた。
巨人で清原氏とチームメートだった髙橋尚成氏のYouTubeチャンネル「髙橋尚成のHISAちゃん」に藪氏が出演。髙橋氏から当時のことを問われた。
藪氏は清原氏と対戦し、通算6個の死球を与えている。
うち半分の3個は清原氏が巨人に移籍した一年目の97年に与えており、その3度目に指3本を立ててマウンド上の藪氏に怒りを見せているシーンがある。
この場面について藪氏が「(清原氏が)3億もらってるってことでしょ」というようなコメントを残したと、強心臓ぶりを表すエピソードとして語られている。
しかし、藪氏本人は「それは関西のローカル番組にゲストで出た時にシャレで言っただけですよ」と思わぬ形で広がってしまったことを明かした。
ただ、死球について故意というのは「絶対ない」と断言。清原氏に内角を攻める根拠があった。
「清原さんは投手のベストピッチ、アウトローの真っ直ぐをライトに放り込む。その当時落合博満さんと清原さんくらいしかいなかった。それをさせないために、スコアラーからはインコースを投げろと言われてたんです」
特にカードの初戦に先発する役目だったことから、後の2試合にも影響することも鑑みて徹底的に攻め続けた結果だった。
ただ、正直な心境も吐露した藪氏。「(打ちに行って)インコースに手が乗ってくるように見えてくる時もある」
98年にもうひとつ死球を当てた際は清原氏と約2分間の睨み合いになり、「避けろよって気持ちもあった」と重ねた。
両者の対戦成績は50打数8安打の打率.160、本塁打は1本も打たれておらず藪氏が抑えていた。
日米通算91勝を挙げたかつての虎のエース。強い精神力でプロの世界を生き抜いた証だった。
記事/まるスポ編集部